promise I was
「こんなところに居たのか」
闘技場から少し離れた場所にある木陰で微睡んでいる探し人の姿を認めて
アイオロスは小さく笑いを浮かべた
「今夜のパーティーの主役が見当たらないと思ったら」
砂埃に顔を汚して癖のある金茶色の髪は汗で額に貼りついている
きっと直前まで鍛錬に勤しんでいたのだろうと容易に窺い知る事が出来た
こんな日くらい休んだっていいだろうにと苦笑いを浮かべ、眠る弟の隣に腰を下ろす
穏やかな寝息を横に空を見上げる
抜けるように鮮やかな青と白く輝く強い陽射し
(あの日もこんな空だったな)
あの日、小さな村で見上げた空も同じように青と白光に彩られた空だった
前の日の朝に産気づいた母は、家の奥にこもったきりで顔を見ることも許されなかった
大人たちが「ひどい難産だ」とか「このままでは母親の身体が持たない」とか言っていて
まだ子供だったアイオロスは余計に不安をかき立てられた
いつもならこんな晴れた日には、他の子供たちと近くの川に釣りに行ったりするのだが
父親に止められたからという前にそんな気分にはなれなかった
「母さんと赤ちゃん、大丈夫だよね?」
表に出てきた父に問いかけると、父は力強い手で頭をなでながら笑って
「母さんはああ見えても強いんだ、それにきっと神様が二人を護ってくれる」
『神様』という言葉は、貧しい村で生まれ育った自分には存在を感じ辛い存在だった
空を見上げると抜けるような青空に目を灼くような強い輝きがそこにあった
(『神様』本当に居るんだったら、母さんと赤ちゃんを助けて…そしたら僕なんだってするから)
そう願った瞬間、家の奥から力強い泣き声が聞こえた
「生まれた!」
そう言って中へ駆け込んでいった父の後を慌てて追いかけた
寝室に入ろうとしたが産婆の老女に押し止められて、ようやく中に入ることを許された時
母は胸に柔らかそうな布にくるまれたものを大切そうに抱いていた
「ほら坊や、お兄ちゃんが来たわよ」
そういうと母は腕の中に抱えていた赤ん坊を見せてくれた
生まれた直後の赤みも引いて穏やかな寝息を立てる小さな存在を目にした時
『神様』との約束を思い出した…約束したのはこの小さな存在を護ることだったのだと
(きっと「これ」がいやな事に遭わないような世界を作らなきゃいけないんだな)
幼いながらもそれは啓示のようにはっきりと感じ取ることが出来た
「ねぇ、母さん…この子の名前、僕がつけていい?」
「あら?何か良い名前があるの?」
ベッドに上るような仕草で問えば、母はその綺麗な翠の瞳を細めて問い返した
「あのね…『アイオリア』はどう?」
すると両親は呆気に取られたような顔で互いの顔を見合わせた
「おい、この子はお前の『弟』だぞ?その名前だと女の子だろうに」
蒼い瞳に幾分怪訝そうな色を浮かべた父がそう言ったが、気にはならなかった
「母さんが読んでくれた話に出てくる、僕と同じ名前の神様が護ってる場所と同じ名前なんだよ
この子の事、父さんたちだけじゃなくて僕も護るんだからこの名前がいいと思ったんだ」
「そういう事なの…そうね、悪くない名前かもしれないわね」
母がそう言って笑うと、父もまた困ったようにではあったが笑みを浮かべてくれた
「よろしくな…アイオリア」
そう言って眠っているアイオリアの頬を指先で押すと、パッチリと目を開いた
白い部分の殆ど見えない赤ん坊の瞳は母と同じ綺麗な翠だった
あの頃はまだアイオロス自身も、ましてや生まれたばかりのアイオリアも自らが背負った宿命など知らなかった
それでも母と弟を護ってくれた『神様』の存在だけは、はっきりと感じ取ることが出来た
(あれはアテナだったのだろうか)
自分は聖闘士なのだから『神様』という言葉に『アテナ』だと感じることは、ごく自然なことだと思う
それでもその後、小さな弟を護りたいと誓ったのは自分自身に対しての誓いだったと思うのだ
そんな事を考えながら穏やかな寝息を立てるアイオリアの頬を軽く突く
青年となった今、その頬はあの頃の柔らかさは殆ど感じられないが、同じ様な安堵感をもたらす
「……ん…どうしたんだ、兄さん」
触れられたことで微睡みから覚めたらしいアイオリアが大きく伸びをしながら問いかけてきた
「空を見ていたんだ…お前が生まれた日もこんな空をしていた、と」
「そうか…」
「あの時、父さんたちと一緒にお前を護ると誓ったのにな…護るどころかお前の生きてきた時間の殆どを
私の弟に生まれた所為で辛いものにしてしまった」
「終わったことだ、それにまだ20年ちょっとしか生きていないんだ。先は長いさ」
あっさりとしたその口ぶりは諦めや恨み言の気配はなく、ただその先にあるものにだけ目を向けていた
こんな風に思えるようになるまで、どれだけの思いを重ねたのだろうか
ちくりと胸に刺さる痛みを誤魔化すように抱き寄せれば、汗と砂埃の匂いがした
「汚れるぞ」
「どうせ、パーティー前の身支度でシャワーを浴びようと思っていたんだから問題ない」
言いたいのはそこじゃない、と呆れたように呟くアイオリアの髪を撫でると擽ったそうに身をかわす
逃れようとするアイオリアを押し止めて抱き寄せ、アイオロスはもう一度夏空に目を向ける
(どうか…アテナよ…あの日祈った名も知らぬ神よ…全ての戦いが終わったというのならば
今一度の生を受けた弟に今度こそ心穏やかな日々を与えて欲しいのです…今度こそは…)
その為ならば、自分に出来ることは何一つ惜しみはしないから…
あの日と同じ、目を灼く陽射しに…あの日と同じ様に声に出さずに、そう祈った
〜あとがき
アイオリアの誕生日企画という素敵な企画に惹かれて、力及ばぬものの参加させていただきました。
子供の頃は普通にカッコいいとあこがれていた彼ですが、大人になって読み返すと
人生の大半が不遇だったのに、真っ直ぐな気性であり続けた分、幸せになってほしいと思わずに居られません
主催者様、本当に素晴らしい企画をありがとうございました
背景素材:自然いっぱいの素材集 様